伏見人形版画集のあとがき・・奥田輝一郎プロフィール

あとがき

伏見人形は,平安千年の都の近くに生れた玩具だけに、一世に秀でた風格をそなへ、その傾向は全国を風靡し、土焼き玩具の代表となるに及んだ。この日本郷土玩具の王座にある諸作品を,京都出身の版画家、奥田輝一郎氏によつて、ここに上梓されたことは意義深きことである。奥田氏は、本輯出版にあたつて、丹嘉、大西の秘庫を度々敲き、もつとも代表とすべきものを選んで、ここに大集成が出来たわけである。後世稀書とするに足る一集である。

 

本誌は、日本土俗研究の一資料たり得ると共に、版画をしての藝術的意図をねらつて、渾然たる画集とし現下の出版界の商業主義を離れ、なるべく気持ちのよい作品集を次々上梓してゆきたい考へである。そのため、なくもがなの雑文を省き、広告をしりぞけ、版木直接摺りといふ原始的出版を敢行してゐるのである。しかも、この紙は、すベて本社より特別に漉かせてゐる手漉きでありて、コムマアシアリズムの現下にあつて、野暮つたい、と思はれる人もあるかもしれぬが、わかつてもらへる人だけにわかつて貰へればいいと思つてゐる。 (料治生)

 

版藝術 毎月一号一日発行

限定 四百部

一冊 定価 五十銭

     送料 二銭

編集・発行 料治熊太

発行所    白と黒社

昭和 741日創刊

昭和1041日発行

奥田輝一郎(きいちろう) 1910年生-2001年没 (画像は1932年の自画像・資料提供中島芳美氏)(193222歳、第3回京都工芸美術展に入選している。)

 伏見人形のホームページ開設とともに、その関係資料の収集に関心を持つ私は、この稀な版画集(当時400部の出版)を、20064月、偶然ネット上の古書コーナーで知り、作者など吟味もせず購入。病床の妻が素晴らしい版画だと喜んでページを繰った。もっと多くの人に紹介したいという話にすすんだ。しかし、著作権上の問題をクリアしなければならなっかた。京都府総合資料館のご協力で1960年ごろまでご存命のようで、しかも当時の住所まで調べていただいた。それをたよりに、約3ヶ月暇を見つけては、旧住所等をたずね、わずかな情報をモトに訪ね歩いた。ようやく、ご子息と連絡がついたのは7月上旬だった。さっそく、この版画集を見ていただき、ご協力願えることになった。

 また、同時期、2006年春東京藝術大学美術館で開催された、芸大のコレクションによる版画などの展覧会に奥田輝一郎の作品が展示されていた。昭和前期の創作版画(自画・自刻・自摺)の名品の一つとして「洛北風景」が紹介されていた。このことも奥田輝一郎の版画を広く知っていただこうとの私の願いに拍車をかけた。

 ネット上ではこの版画集を所蔵している公共図書館は見当たらない。伏見人形を愛し、京都の伝統工芸を守る礎石の一つとして私は、この複製本の作成とネットでの発信に取り組んだ。

 昭和前期、京都で友禅に関わりながら、版画家としても名をなした奥田輝一郎の業績を残すこと、さらに、この版画集のあとがきに編集者でもあり版画家の料治熊太氏が述べているように「本誌は、日本土俗研究の一資料たり得ると共に、版画をしての藝術的意図をねらつて、渾然たる画集とし現下の出版界の商業主義を離れ、・・・そのため、なくもがなの雑文を省き、広告をしりぞけ、版木直接摺りといふ原始的出版を敢行してゐるのである。しかも、この紙は、すベて本社より特別に漉かせてゐる手漉きであり・・・」という熱意にも感銘した。70年前のこの願いも引き継いでいきたい。

 

*ご子息・奥田滋生氏のご好意で、復刻・WEBにての公開を認めていただいたことを感謝している。

 なにぶん素人の作品なので画像処理(特に色彩)が十分でなく原作者の意図に反した画像になっていると思うが、お許し願いたい。いつか、原画をみていただく機会も作りたいものである。なお、手作りの複製本を京都府立図書館・京都市伏見中央図書館に寄贈している。2006.7.20 7.25追記 ©村上敏明